一部難有り、だが必読―『「おもしろい」のゲームデザイン』書評(1)

「おもしろい」のゲームデザイン ―楽しいゲームを作る理論

「おもしろい」のゲームデザイン ―楽しいゲームを作る理論

少し前の記事で紹介した『「おもしろい」のゲームデザイン―楽しいゲームを作る理論』(ISBN:4873112559)をようやく読み終えたので、書評を書いてみようと思う。この本の評価を一言で言ってしまえば、「一部に不満があるが、素晴らしい必読書」の一言で終わってしまう。しかしながら、それだけでは物足りないので何回かに分けて書いてみたいと思う。出来れば、発展的展望も書ければよいと考えている。

この本の最大の功績は「おもしろい」「つまらない」という言葉を”使えるもの”にした点にある

まずは、この本の最大の注目点かつ最大の功績(になるだろう点)について述べる。

この本では、「ゲームとはパターンやチャンクを脳に認識させる学習機会のことである」、と定義付けた。プレイヤーの認識、という視点から認知科学的アプローチをとってゲームの定義づけを図っている。この定義づけが、この本の最も注目すべき点の前提である。

このようなアプローチを取った結果、次の定義が可能になった。

おもしろい
学習目標のパターンを吸収することに成功し、脳がフィードバック(エンドルフィン)を返してくる状態。
つまらない
脳がパターンの学習に失敗し、新しい情報を求めている(つまり、学習可能なパターンが何もない)状態。

この2つの言葉の定義づけが、本書の最も注目すべき点であり、さらに、今後にとって最も功績を残すことになるだろう部分である。何故なら、この定義づけを加えることで、「おもしろい」「つまらない」という言葉が使える存在になるからである。

私は以前、「「面白い」だとか「Fun」だとかは、使える道具ではない」という記事を書いた。この記事の趣旨は、「おもしろい」という言葉は定義があいまいで、複数人がコンセンサスをとる場合に使えない道具になっている、というものだった。この記事の最後でかつての私は、

個人的に欲しいのは、もう少し意味分化された客観的な指標となる言葉だ。

と述べている。まさに本書は、この私の要望に答えてくれたのだ。

ゲームデザイン自体は一人の人間の頭の中だけで可能である。従って、どんな道具を使って設計しようと、その道具が使えれば問題ない。しかし、その段階ではまさに「絵に描いたもち」の状態で、実際にゲームの形にする為には設計を具現化しなくてはならない。その設計の具現化段階で、ゲームデザイナー一人だけではすまない事態が起きてくる。この事態に、「おもしろい」という言葉(道具)が明確でないとどうなるか。

たとえば、「どうしてこういうデザインにしたの?」という問いに、「おもしろいから。」というなんとも説得力の無い答えしか出来ないだろう。本人も明確でないので、何故そのデザインがおもしろさを生むのか、全く答えられない。これでは具現化するのが「意思なきデザイン」―「だめなデザイン」と言ってしまってもいいだろう―にしかならない。

ここに本書の定義を持ち出してみる。すると、「どうしてこういうデザインにしたの?」という問いに、

  • 「ここの設計が効果的に学習すべき目標をあらわしているから(だからおもしろさが引き出せる)。」
  • 「このデザインをすることで、脳のパターン認識ができなくなる状況を防ぐことができるから。」

といった具体的な説得が可能になる。どこかのゲームタイトルの一部分を例示したり、まわりくどい説明を繰り返す努力は要らなくなるのだ。もちろん、ゲームデザイナーが開発の全てを担う場合であっても自分なりに説明が明確にできるということは利点以外の何者でもないだろう。設計が明確な意思を保ったまま具現化するわけだ。これは使える言葉である。

本書の最大の注目点はここにある。これまであいまいで混乱の元だった「おもしろい」「つまらない」という言葉を明確化して、利便性の高い道具のレベルにまで持ってきたのだ。これだけでもこの本は読む価値がある。

※ちなみに、この本で筆者のRaph Koster氏は「おもしろい(fun)」と「楽しい」を区分しているようだ。「おもしろさ」は脳のパターン学習云々〜、のくだりが理解しがたいという人は対象のズレを確認してみるべきだろう。「楽しい」についての定義はRaph Koster氏も書いてはいるが、「おもしろい」が本書の前半をまるまる使って説明にしているのに比べると、比較的あっさりである。おそらく氏自身もそれほど自信があるようではなさそうである。このあたり今後の発展材料である。

この本の不満点は対象が散逸気味であるところだ

しょっぱなから賛辞ばかりなのも気持ちが悪いので、ここで不満点も書いておこう。

まず、前提として、この本は素晴らしい本である。そしてまた幅広い人に読んでもらいたい本でもある。なぜかといえば、幅広い分野にまたがって書き記してある本だからだ。そして、また、そこが最大の不満の原因でもある。

基本的にこの本の前半と中盤はゲームデザインに記して書いてあるが、後半の9章から12章にかけては、はっきり言えば蛇足だと感じる部分である。もちろん、ここの内容は芸術論・表現論・倫理など重要な議題に触れていて、ゲーム開発者はもちろんのこと、ゲームに興味の無い一般の人にも是非読んで欲しい文章がいくつも含まれている部分で素晴らしい内容なのは間違いない。しかしながら、この本が「おもしろいゲームデザイン論」の本だとすれば、ここの部分は不要である。

この部分があることで一体対象の読者層は誰なのか明確で無くなり、またゲームデザインといったものに誤解を抱かれかねない。ゲームデザインはただでさえ理解しがたいとされているわけで、途中から別の本が紛れ込んできたような構成は出来れば避けて欲しかったと思う。内容はかろうじてゲームデザインに触れているが、話の軸足は完全に別のところにある。さらに、読み物としてはおもしろいが、完全にエッセイなので、Theory(理論)と名前のつく本にはふさわしくない。もっと短く触れるに留めて本の導入部に持ってくるか、ざっくりと切り落としても良かったと思う。そういうわけで、この本は9章〜12章は別の本だと割り切って、頭を切り替えて読んだほうがよい。

対象が散逸気味なことによる不満はまだある。この本の中心となる1〜8章においても、だ。この本は、教科書として良い、という評価がされているが個人的にはお薦めできない。内容が悪い、という訳ではない。教科書の対象となる初心者向けでは実は無いからだ。

この本はやさしく噛み砕いて説明しようとする努力が至る所で見受けられる。教科書的な意味合いを強く意識してのことだろう。しかし、結果的にはその内容は必ずしも初心者に薦めやすいものではない。どんなに噛み砕こうと、計算複雑性理論・認知科学情報理論・位相数学・グラフ理論音楽理論ゲーム理論ゲームデザインとは関係ない)などの各種理論に加えて各種文芸の知識、もちろんゲームデザインについての知識は言うまでもなく、要求する文章である。これらの分野の言葉があちらこちらに散りばめられ、意味合いも大小さまざまなのである。前提として要求する水準が初心者には高すぎるのだ。

例えば、私の場合まさかゲームの定義で「チャンク」なんて言葉が出てくるとは思ってもいなかったので、これほど認知科学を曲がりなりにも一度齧っておいて良かったと思ったことは無い。齧っていなかったら、前半部分の理解にはもっと時間がかかっただろう。本書では、難解な言葉や概念をさらっと触れるに留まっているので、それを知らない場合、理解できなかったり時間がかかったりするだろう。本の厚み以上に読み応えの感がある本である。

また、これは日本に限ることだが、欧米で一般的なゲームデザインの知識と日本で一般的な知識には差がある。この本は前者を前提に書かれているので、日本語だけでゲームデザインを学んでいるとその差がハードルになりかねない(逆に言えば、この本がその10年ぐらいの差を一気に埋めるきっかけにもなりうるのだが)。幸い前半の重要な部分は大丈夫だが、後半に行くにつれて機械翻訳のようになる日本語訳もまた理解のハードルになるだろう。「いい本だから是非教科書として活用」、とはいかないと感じられる。

まとめ

  • 本書の最大の注目点は「おもしろい」「つまらない」を使える道具のレベルに持ってきたこと
    • ゲームを認知科学的アプローチから定義づけ、「おもしろい」「つまらない」を明確に定義した
  • 本書の不満は対象が散逸気味なこと
    • とくに9〜12章は別の本だと考えるべき

まだまだ触れたい部分があるので、この書評は次回以降につづく。