山陰方面旅行 5日目(2009-06-07)
UPが遅くなった。もう20日も前か…。つづき。
白兎(はくと)神社
鳥取駅から20分程度バスに揺られていった先、因幡の白うさぎ伝説のある「白兎神社」へ。
日曜だが、朝ということもありあまり人がいない。とはいえ、近くに道の駅があるのでパラパラではあるが人がいないこともない。逆に言えば神社・道の駅以外には特に何もない感じである。
この写真の島が、白うさぎが渡ったと言われる「淤岐(おき)ノ島」。ちなみに、この方角のずっと先には先日滞在した「隠岐の島」があるのだが、まあ偶然だろう。もちろん見えない。
うさぎが体を洗った池との言い伝えのある御身洗(みたらし)池。「みたらし」で変換すると「御手洗」になるが、ここは「手」でなくて「身」。
白兎神社本殿。うさぎを祭っているのもめずらしいが、よくよく見ると「兎」の漢字がちょっと変。てっぺんのカタカナの「ノ」のような部分が無い「兎」なのだ。うさぎの漢字は他にもあるが、この字はPCのフォントではでてこない。いわくありげな感じがプンプンする。
菊座石。ここの最大の見所である。今回の旅は初日に出雲大社に行った事もあり、皇室と関係あるのかもしれない、などと書いてあると色々想像してしまうところ。
…しかし、神社巡りツアー*1みたいになってしまった。とても20代の人間の趣味とは我ながら思えない。
この看板も「ノ」が無い。公共系の表記は「兎」だが、神社内の表記はほとんど「ノ」が無い。
近くにハマナスの天然自生地があるというのでついでに行って見た。6月開花ということだったが…うーん…まぁ…、うん、この字ってハマナスって読むんだって、読めないよねぇ…アハハ。
鳥取砂丘
鳥取駅に戻り、周遊きっぷでは利用できないが観光地を安く巡れる「ループ麒麟獅子バス」に乗る。レトロ?な雰囲気で、ちょうど12時頃にのったということもあり、貸切状態。季節外とはいえ、日曜に観光用バスがこのガラガラだと大丈夫なのかと心配になった。
で、今日のメインイベント、鳥取砂丘。あいにく小雨が降っていたが、それを忘れる砂・砂・砂。
面積は広くないが、砂の山という形容がふさわしい。ボロボロの足腰なのに思わず登ってしまった。「何故登るのか?」→「そこに(砂の)山があるからさ」と思わず答えたくなる感じである。写真で伝わるかどうか…。
今回もっとも若い人が多かった場所。自然の魅力は年齢関係ないのだろうか。
まとめ
個人的には正解だった。人にあまりふれない一人旅だったが、それでも今の自分には十分。ミスが結果的に良くなる、そういう経験を久しぶりにした。
さーて、つぎの休みが取れるのはいつかな?
山陰方面旅行 4日目(2009-06-06)
足腰が悲鳴を上げる
昨日から様子が良くなかったが、どうも祭りの間中ずっと立って見学していたのがよくなかったのか足腰が悲鳴を上げる。特にひざの曲げ伸ばしがキツイ。歩くのがつらい。年を感じると共に、歩く速度が遅くなるのでどうするか考える。
予定を変更して移動日に
予定では朝一のフェリーで本土(境港)に戻り、そのまま鉄道で鳥取に入って夕方の砂丘を見に行く予定だった。が、色々歩いて見るのは厳しい。昼頃の高速船で島根県の七類(ちょうど境港の対岸)までゆき、鳥取砂丘は後回しにすることにした。
余裕が出来たのでしばらく島を楽しむ。といってもあまり動けないが。朝は土砂降りだったが昼前には晴れになった。出雲〜境港はずっと曇りか雨だったのとは対照的である。
昼は白バイ貝のつぼ焼き定食にした。火が付いたまま運ばれてきてちょっと驚く。
茶碗蒸しをあけると茶色で驚いた。海苔が表面にのっているのである。味は全く違うがカスタードプリンのようなものだ。
山陰方面旅行 3日目(2009-06-05)
流石にホテルではしっかり眠れた。
境港で思わぬトラブル
チェックアウトに時間がかかり、なんとあと一歩の所で列車に乗り遅れてしまった。境線はローカル線なので次は1時間後である。しまったという顔をしていたら、降りた直後の親切な地元の人に「はまループバス」という市内巡回バスの方が早いと教えてもらう。まさにわたりに船。
中浜は近くに米子空港がある関係上、ひっきりなしに飛行機の音が聞こえてくる。はまループの巡回ルートを見ると、米子空港で別のコースに乗り換えるのがよさげである。20分ほどまってバスに乗る。ちょうど雨がポツポツ降り始めたのでバスに乗れてほっとした。
当初の予定にはまったくなかった米子空港で降りる。空路を使えばここまで来るのはあっという間だが、それでは味気ない。ローカル線の不便さやこういったトラブルも醍醐味だ…、そんなことを考えていたら、なんと乗る予定のバスにも乗り遅れてしまった!次のバスは一時間以上ある。バスを待っていては船の時間に間に合わない。あるいて近くの境線の米子空港駅までゆくか?いやいや、境線もうまく乗れるとは限らない。どうしよう。
ここでふっと思い出したのがここは空港であるということだ。空港ならば降りた人を待つタクシーが居るはず!案の定2台ほど止まっていたタクシーに乗り込んだ。思わぬトラブルが二回も続いたが、つくづく乗り遅れたのが空港で不幸中の幸いだった。これがバス停や境線の無人駅*1だと、タクシーを捕まえるのはかなり難しいところだった。
話好きの運転手さんとあれやこれや話しながら、隠岐にいったら白イカか岩ガキを食べるといいと教わる。トラブルの後は人の親切あり。
水木しげるロード
なんとかかんとか境港へ到着し、予約済みの船のきっぷを購入できた。あれほど時間がない気がしていたが、車だとすぐ到着して30分以上も余裕ができた。そこで途中まで諦めていた境港の水木しげるロードをぶらりと探索してみた。
境港は港町としても有名だが同時に漫画家の水木しげるの出身地としても有名である。JR境線の境港駅から東の通り沿いにブロンズの妖怪の像が並ぶ。
鬼太郎関係が多いが河童の三平のものもあったりする。
秀逸なピクトグラム。
目玉親父は意匠として使いやすいのか色々なところに使われている。が、タクシーの屋根についていたり、はたまた街灯の意匠に使うのは正直ぎょっとする。目玉親父ではなく、ただの目玉にしかみえない…。街灯は目玉が生えた木の様だ。
とてもいい言葉だと思います。
キャラクタービジネスと町おこしの融合加減がちょうど良い。通りはさながらテーマパークのようであるが、最初から狙って作られたテーマパークではなく、もとからある町を作り変えたとすると、この出来のよさは正直感心した。昨日の出雲大社前の閑散とした通りとどうしても比較してしまう。どうしてこういう差がついたのだろうか…。
境港から隠岐へ
高速船に乗る。通常のフェリーと異なり、船体を浮かばせるので高速に移動ができるらしい。約70分でつく。
境港は半島の先にあるので対岸が見える。対岸は島根県松江市だ(境港は鳥取県)。境港と比べると山がちな地形である。
境港を出航した直後は波はほとんどないが雨が降っていた。隠岐が見えてくるころには晴れ間が見えるようになる。これは幸運だった。
西郷港に着く。いかにも天然の良港、という地形である。
玉若酢命神社の御霊会風流(ごれえふりゅう)
西郷港からあるいて玉若酢命神社へ。事前に隠岐3大祭りのひとつがちょうど今日開催されるのを調べていたのでこの日付にした。
途中で子供を抱いたお地蔵さんを見かけた。えらく綺麗に整備されている。なんだかいわくありげな雰囲気だが不明。
神社周辺は既に人でごったがえしていた。久しく行っていないが、夏祭りのような雰囲気だ。
八百杉(やおすぎ)。ここは杉のようだ。実際には樹齢2000年程度らしい。
メインイベントは馬追いというもので、本物の馬が待機している。
ついに始まった。全速力で走る馬を人間が追いかけ参道を走る。…が、人が多すぎて写真が撮れない。
馬をしっかり取れたのは休んでいる間だけ。われながら、まったく迫力がない絵になってしまった。
ちなみにこの神社、隣の山には前方後円墳があるらしい。なんでもないところに神社を建てないだろうからなんらかの関係はあるのだろう。
西郷港にもどる
何年かぶりに屋台のたこ焼きを購入し食す。ずっと立っていたので足が棒になった。来た道をあるいて戻る。
平日であればバスが来ているらしいが、それでも便数が少ない。ここも車がないとつらい。
西郷港前のホテルにチェックインする前に周辺を散策する。
街中に立っているのが隠岐騒動の記念碑。
初日に訪れた出雲大社の分社がここにもある。
この石灯籠が昔は灯台代わりだったそうだ。
明日は本土へ
明日は朝一のフェリーで境港に戻る予定、だったのだが…。
山陰方面旅行 2日目(2009-06-04)
昨日の内容がまるで車両説明のようになってしまったが、実質2・3時間なのであれぐらいしか書くことが無かった。その意味では2日目からが旅の始まりと言えるだろう。
ちなみにあまり眠れなかった。親知らずを抜いたあとが痛んで夜中に痛み止めを飲む羽目になり、うとうとしたところで岡山駅に着いたというアナウンスで目が覚めてしまったからだ。特に窓からの外の明かりがカーテン越しにちらちら(トンネルの中など)見えるのが予想以上に睡眠を妨げた。
出雲到着
さて、目が覚めて窓を開けると山間の中を走っていた。雲あるいは霧の中から山がみえるのはちょっと幻想的である。東海道線を走っていた時は爆走していたのだが気がつくと特急なのにのろのろ走っている。カーブもかなり多い。
山を抜け、米子〜松江を経由して到着したのが出雲市駅。ちょうど10:00頃だった。あいにく小雨がぱらついている。
JRから一畑電鉄に乗り換える。一畑電鉄はいかにもローカル線という風情だ。
出雲大社前駅で降りると左手に大きな鳥居がみえる。駅前が「門前通り」という松並木の参道になっているらしい。
坂になっている門前通りを上りきると、木製の鳥居が出現する。いかにも神社の参道という感じである。反対側を見ると最初の鳥居の巨大さが良く分かる。この鳥居が今思えばこのあと出現する巨大な建築の序曲だった。
松の参道。神社というと巨大な杉の並木のイメージがあるのだが、ここは松である。それも松にしては結構な巨木が多い。杉はみられない。
出雲大社はちょうど30年だか60年だかの建て替えの時期にあたり、建物に覆われ、クレーンがみえる。残念なところだが、それでも大きさを実感するには十分である。
現在は仮のところでお参りをする形になっている。仮とはいえ、建材は前のものを使用しているようである。ここの参拝方法は独特で、「二拝四拍一拝」、つまり普通の神社で二回拍手するところを4回行う。
これは左側にある神楽殿だが、有名な巨大な注連縄がある。これもデカイ。とりあえずこのサイズを「縄」とはあまり認めたくないところ。
神楽殿の前に立っている旗。最近のものだが、これも実はでかい。ポールの高さは、本殿と同じくらいあって、遠くから見るとこの旗と本殿の頭だけが飛び出ている。旗の大きさは70畳あるとかないとか。
十分今でもでかいがむかしはもっと大きかったとか。高さは東大寺よりも高く、太い柱と長大な階段でできていた。この階段は正直登りたくないものである。
出雲大社の近くにある島根県立出雲歴史博物館にも足を伸ばしてみた。
流石出雲の地というべきか、昔教科書でみた銅剣などの青銅器の展示が多く展示されている。数百本の銅剣展示は圧巻。
昼は近くの蕎麦屋で割子そば。だしを掛けてから食べる。このあたりの名物として出雲そばというものがあるらしく、出雲大社周りには多くの蕎麦屋が立ち並ぶ。
時期的に休日や休暇の時期ではないということもあるかもしれないが、門前通りはやっていない店舗が意外と多い。さながらシャッター商店街の雰囲気も漂う。やっているお店も出雲そばかぜんざい*1か、という感じでバリエーションに欠け、寂しさを助長している。平日とはいえ中高年の観光客が結構いることを考えると意外である。あまりお金を落とさないのだろうか?
変わった形のスタンドグラスの窓やアーチ状の天井など、レトロモダンな雰囲気で面白い。どうも産業遺跡に指定されているようである。出雲大社のイメージとは合わないが、これはこれで歴史を感じる。歴史博物館にも古い車両と改札が展示されていた。こういうものは意外と地方の方が良く残っていたりするものである*2。
鳥取・境港へ
出雲大社の後は鳥取県の境港へ向かう。境港は鳥取の北西端にあたる港町だ。一旦出雲市駅に戻り、特急で米子へ。
今回の旅は基本移動手段として鉄道を使うので、前もって周遊きっぷを購入しておいた。周遊きっぷはゾーン内であれば特急の自由席が乗り放題で便利だ。
米子で珍しい「0番線」から境線に乗り換える。境線は境港が水木しげるの出身地ということでそれを前面に押し出している。乗った車両は違ったが前面ラッピング車両が多く走っている。各駅には妖怪の名前も付いている。…が、本来の駅名より大きく表示してあるのはどうなのか。
境線も一畑電鉄と同じくローカル線ではあるが、ちょうど中高生の帰宅とぶつかったらしく車内はごった返していた。一畑電鉄はローカル線ならではのまったり車窓を眺めて、ということができたが、まあ元気盛んな世代と一緒ではそれも無理である。
境港の少し手前の中浜という所で降りる。米子空港のすぐそばに当たる。無人駅であり周りには民家ばかりで目立つランドマークが無い。これは想定外。地方の例に漏れず、車がないと厳しいようだ*3。とはいえ、タクシーがつかまる訳でもないのでホテルまで歩く。
大学時代に神奈川に越してから交通網で基本苦労した経験がなかったので忘れていたが、そうそうこういうのが普通なんだよなぁ、と思いつつ歩いてゆくと潮の香りがしてくる。港町の雰囲気が徐々に感じられる。ホテルに無事着き、夕食はすこしあるいたところで海鮮丼を食す。なかなか新鮮でうまかった。
境港市街を観光…しようかとも思ったが、気軽にでかけるには足が心許ないので明日早めに出て見ることにする。明日は船で隠岐へ。
山陰方面旅行 1日目(2009-06-03)
ふと思うことあって、1週間休みをもらい旅行に出ることにした。
初日は横浜から列車で出雲市へ。前から一度寝台列車に乗ってみたかったので寝台特急のサンライズ出雲で行くことにした。
21:00に家を立ち、横浜22:24分発の列車に乗る。22時台とはいえ、東海道線のりばは帰宅する人で結構込んでいる。その中に旅行の格好で混じっているという微妙に場違いな雰囲気を感じながら乗る。
サンライズ瀬戸・出雲は最も高いグレードの席だとさながらホテル並みの部屋なのだが、寝てゆくだけにあまり高い金を払うのもなんだし、ブルジョアでもないので下から二つ目の「ソロ」を選択した。一番安い席は「のびのびシート」といって特急料金だけで寝てゆける(指定席扱い)のだが、半個室的なつくりであまりゆっくりできなさそうなのと、終点の出雲市まで12時間近く乗ってゆくのできちんとしたベッドのあるのを重視した。
ちなみにこの「のびのびシート」、時期によってはとても人気で取るのが大変なこともあるらしい。東京ー大阪間も時間は掛かるが新幹線よりは安く、夜行バスよりも快適、ということもあってビジネスに使う人もいるらしい。
さて、私の部屋(?)だが1階であった。ちょうど窓の下の位置がホームと同じ高さになるくらいである。2階とは完全に区切られているのでプライバシーの心配はない。基本的には「寝るだけ」の作りであり、入り口以外は立てないが、木目調の壁や暖色系の明かりなど配慮してあって、まあ個人的には十分である。枕・毛布・寝巻きが用意されてあり寝る分には申し分ない。
部屋にはコンセントがひとつあり、「カミソリ専用」と書かれているが、一応ノートPCを繋いでも問題なさそうである*1。ラジオも聞けるようになっているが、「ソロ」の場合はヘッドホンが必要。今回はムダになると思って持ってこなかったのだがこれは失敗した。潔くあきらめることにする。
揺れや音は列車なので当然あるが、電車の中で眠れる人には問題ないだろう。むしろ、通路と壁一枚隔てているだけなのでドアの開け閉めする音や、入り口のベッドの下にある通風孔からの音の方が気になる。通風孔からの風はコントロールできないようなので、諦めて頭を反対側にして寝ることにした。
*1:この文章も繋いで書いている
トーキョー・ドリフト:"ガイジン"開発者が見た日本(DiGRA2007)
DiGRA2007の中で唯一開発者向けのシンポジウムとして開かれた「Tokyo Drift: Imports to the Japanese Developer Community」の様子を自分用メモから紹介。記憶に頼る部分、抜けも多いが勘弁されたし。
"プランナー"という謎の日本独特の職業
- ジェイソン:
-
日本の開発者の職種には「プランナー」という職種があるようだね。なんでも、プロジェクトマネージャーとデザイナー*1を兼ねたような仕事らしいね。
デザイナーは、ああしようこうしようと「Yes」を言う職業、プロマネは予算が、期限が、と「No」を言う職業、という認識なんだけれどもそのYesとNoを言う職種が同じだなんてとても不思議だ。一体どういう職業なんだい?
- パネリスト:
-
- 実際のところ、ほとんどやっていることはデザイナー
- 利点もある。プロマネとデザイナーの間の意思疎通の手間が要らない
- 兼ねているということはおそらく何か意味があるのだろう
- プランナーという職業はかなりあいまい
本来別職種・別スキルの必要な2つの職を兼ねる「プランナー」は欧米開発者の目には相当奇異に映るようだ、と感じた。考えてみれば、プロジェクトマネジメントとゲームデザインはそれぞれひとつの学問を形成するぐらい(特に前者)であり、究めればキリがない。その2つのスキル*2を同時に要求するプランナーは、ある意味スーパーマンを要求するようなものであり普通に考えれば成り立たない。彼らにしてみれば、そのような分業化があいまいな中、一体どうやってプロジェクトを進めているのか相当の関心事であることは想像に難くない。
日本の開発者サラリーは低い?
- ジェイソン:
- 日本で働くというのはどうだい?日本はあまりサラリーが良くないとか?
- パネリスト:
-
- ヨーロッパの約2/3、アメリカよりは大分低い。
- ただし、税金が安いので結果的にはトントンかも。
- ロンドンにいたときは、大きな部屋だったが、こっちは小さな部屋なので安い
- ジェイソン:
ボーナスといって前もって給料から引かれているらしいけど?- パネリスト:
-
- そういう考え方もできるが、お金が必要な時期に1か月分のサラリーが入ってくるのはとてもありがたい。
日本の開発者にとっては衝撃的?それとも、「ああやっぱり」?
ゲーム業界に限らず、日本のIT系は開発者軽視、とはよく言われることで、「給料安い」といわれると実感がよりわく?
女性開発者比率
※注:このシンポジウムの前に「Women in Games 2007」というパネルセッションが同じ会場で開かれている。
- ジェイソン:
- 先日TGS2007にいったんだけど、女性のプレイヤーの姿を良く見かけたよ。開発現場ではどうだい?
- パネリスト:
-
- 開発者の比率としては欧米と変わらない
一昨年TGSに来場したデラロッカ氏が、女性コンパニオンが女性来場者に説明している写真をBlogに挙げて、なんてすごいんだ!とコメントしていたのを思い出した話。日本にいる我々には実感が薄いが、欧米から見ると女性プレイヤーの多さは目に付くことらしい。ひとつまえの「Women in Games 2007」でも日本と女性の話が出ていたと記憶している。
消費者とのかかわりあい
- ジェイソン:
- 欧米の開発だと、消費者と直接メールのやり取りをしたりフォーラムを設けたりして消費者と直接かかわり合うことが重要視されているけれども日本ではどうだい?
- パネリスト:
-
- 直接かかわりあうことはほとんどない
- ただ、「2ちゃんねる」という有名なメッセージボードの書き込みはスタッフみんながチェックしている
- スタッフひとりひとりが消費者の意見をそうやって汲み取っている
- 直接メールなどでやりとりしたからといって、本音を言ってくれるとは限らない。そういう意味ではメッセージボードの方はいいことも悪いことも本音で書かれるのでとても参考になる
- ジェイソン:
- フォーカステストはやらないのかい?
- パネリスト:
※詳しい人がいないので明解な答え得られず。
ま、「スタッフひとりひとりが消費者の意見をそうやって汲み取っている」と言われると大層なことをしているように見えますがね。
前提として、欧米ではPCの市場があるので日本のコンシューマーよりも消費者と開発者の間の対話が重視されてきた、という市場と歴史の違いがある(そういう意味では、オンラインゲーム市場ではコンシューマーよりも欧米に近いかもしれない)。ただ、PC市場が日本でしっかりしていたとしても、面と向かって批判しないことを美徳とする文化圏ではうまく消費者の意見を汲み取れない、ということも容易に想像のつくことではある。どちら方式がよい、とは言い切れない。下手に聞きすぎても、声の大きなユーザーの趣味に合わせてしまって、大多数の「現状で満足」という無言のオピニオンを見逃すこともある。どの業界でも消費者のニーズの汲み取りは難しいもの。
ビジネスとアカデミックのつながり
- ジェイソン:
- 業界と学会などのつながりは?
- パネリスト:
-
- 明日から同じ会場でやるCEDECなどがある
- 開発者同士は非公式なつながりでつながっている
- 学会とのつながりは良く分からない
- いくつかの企業は自社で専門学校を運営している
- 明日から同じ会場でやるCEDECなどがある
ここで代弁して答えておくと、「散発的な事例を除き、つながりはほとんどない」。まあ、以前に比べれば状況は改善しつつあるが、欧米の開発者が日本の事例に学ぶことは、「脳トレ」の事例くらい*3ではないか。
ジャーナリストとの関わり
- ジェイソン:
- ジャーナリストと業界の関係は?
- パネリスト:
-
- 「ファミ通」という雑誌の影響力が強い
- レビューが広告費に比例するという噂がある
- その辺は欧米も変わらない
- レビューが広告費に比例するという噂がある
- 「ファミ通」という雑誌の影響力が強い
このへんのつっこんだ話は本業の人に任せるとして。
日本のジャーナリストはとても頑張っている、と個人的に思う。業界が良く分かっていない、という批判もあるが、鎖国主義のこの業界ならある意味当然である。学生時代の私の経験からすると、英語の文章で国内の業界の様子を探るぐらいしか情報がなく、その情報もやはり数ヶ月のアルバイトで得た経験にはとても適わない量であった。ゲームジャーナリストの苦労は想像以上だろう。
ここ数年GDCやCEDEC、DiGRAなどのカンファレンス・学会の情報を日本語で伝えてくれるお陰で開発の現場としてはとても助かっている。実際に参加したほうがそれはもちろん得るものは多いが、そうそう行けないのが世の常、記事には頭が下がる思いである。「あの記事見といて」とURLを送るだけでコンセンサスが取れる利便性に適うものはそうそうない。鎖国主義は国外に向けてではなく社外にむけてのものなので、些細な日本の他社の状況だけでも現場としてはかなり価値のある情報なのだ。
「脳トレ」をはじめとするDSブームは、市場のパイをこれまで対象でなかった人々にまで広げた。この傾向は今後も続き、「1億総プレイヤー時代」が近い未来に訪れることだろう。その社会に対する大きな責任が生まれる未来にゲーム企業・業界が求められるのは「公共性」とそれを支える「透明性」である。では、現状の透明性は如何?
- 業界一年生が、「ゲームは好きです。でもゲーム業界はよくわかりません。」という。ふーん、謙遜だよね?
- 「映画の作り方わかりますか?」と一般人に質問して監督とカメラと俳優の違いが分からない人はいない。では、ゲームの作り方は?…あれ?新聞に「ゲームクリエイター」なる謎の職業名が踊ってる!?オレもこれになんの?えー!
…現状の情報公開度合いでは、この業界にその責任を負う資格はない。いつまでも趣味の延長線上ではいられない。子どもが大人にならないのは死ぬ時だけだ。
何故こんな話を書くかと言えば、キーになるのはジャーナリストだからだ。開発者の皆さん、もっとジャーナリストの人たちと仲良く、情報公開しましょう*4。ジャーナリストの皆さん、開発者も唸るいい記事書いてね!
政治との関わり
- ジェイソン:
- 政府や政治家とのかかわりは?
- パネリスト:
-
- CEROという組織があってレイティングを行っている
この業界には政治に積極的に介入できるほどのロビイストは居ない。精々、コンテンツという呼称に涙を飲んでCoFesta/CEDECセミナーをタダにするのが関の山。逆に政治側からの介入は地方自治体レベルではあるが、まあ、それでもたいしたことはない。北米の事情に比べるとなんとも薄い関係である。
何故欧米のゲームは日本市場で売れないのか?
- ジェイソン:
- 欧米のゲームは日本で売れていないと聞く。たとえば、「Halo3」などは世界中で売れているが、日本ではほとんど売れていないらしい。それは何故だと思う?
- パネリスト:
- ジェイソン:
- 暴力表現に対して文化的な違いがあるとか?たしか、体の一部がちぎれるような表現はだめだとか?なんでも、体と魂が別であるという考え方ではなく一緒であるという考え方が強いので受け入れられないと聞いたが?
- パネリスト:
-
- ※答えられず
デラロッカ氏はどうも日本の文化に対して勘違いしているところがあるようだ。かつての首切りの風習が文化的背景となって暴力表現の受容度合いに影響を与えている可能性はあるが、正直売れない理由を文化に求めるのは賢明な判断ではない。
なんといっても最大の理由はマーケティングである。日本製タイトル並みなら売れるとは決して言わない。だが、同程度以上にやらなければ売れることもまたないだろう。結局は、何故か欧米で売れない日本製タイトルと同じ。市場にタイトルを合わせるのだけがマーケティングじゃない。タイトルに市場を合わせるのもまたマーケティングだと思う。
"ガイジン"開発者が働くうえでの障害は?
- ジェイソン:
- 日本で働く上で人種差別みたいなのはあるかい?"ガイジン"だから、ということで差別されたりすることは?
- パネリスト:
-
- いまのところ、感じたことはない。むしろ、"ガイジン"だから、ということでワガママが認められることが多い。
- そういう意味で"逆差別"みたいなのはあるかも。
- いまのところ、感じたことはない。むしろ、"ガイジン"だから、ということでワガママが認められることが多い。
- ジェイソン:
- 日本の社会や企業には官僚主義的なところがあると聞くが、そういうところはあるのか?"ガイジン"の開発者の出世が制限されているとか?
- パネリスト:
-
- 少なくとも小さいところはない
- スク・エニは大きな会社だが、そういうところはない
- ジェイソン:
- 言葉の問題は?
- パネリスト:
-
- 日本語は必要
- ただ、ブロークンな英語が結構多く使われている
- コードの変数は英語。コメントは日本語だけど。
- テクニカルな部分だと英語の情報が多い分、有利
- 日本語は必要
他の業界でも問題になる事だが、2・3番目の問題は比較的この業界は恵まれていると言えるだろう。なんだかんだいってATARIカルチャーの継承者なのは洋の東西を問わず。
日本発のイノベーションについて
神話化する日本発イノベーション。ただし、日本の老舗系企業(任天堂や旧ナムコなど)にはイノベーションを育てる*5ノウハウがあるように外部からは見受けられる。生のイノベーションは食えないことを良く理解し、調理法を心得ていることが結果的にイノベーションとして評価されてきたとも言えるだろう。
「安い予算の中、ハングリー精神で云々」という美談も結構だが、精神論ではなくノウハウの形で理解しないのは賢明ではない。
会場からの質問
- 質問者:
- 日本で暮らすことについて。自分は最初、和を保つ風潮が分からなかった。
- パネリスト:
-
- そういう風潮はあるが会社の規模による
- むしろ意見を主張することが良いこともある
- 質問者:
- 外国人であることについて限界はないか?
- パネリスト:
- 質問者(途中参加で前のパネルセッション参加の女性研究者と思われる):
- 女性については?
- ジェイソン:
-
- (既に開発者比率は欧米と変わらない、アーティストの場合は比率が高いという話がされたという説明)
- うちの経営者は女性です*7
- 質問者(別の女性研究者):
- 任天堂などの日本のゲームタイトルは女性にも受け入れられるように感じる。
-
- 「ラブ&ベリー」のように母親と娘が一緒に遊ぶ人気タイトルや女性向けデートゲームなどがある
- 質問者:
- 日本の開発体制や使っているツールなどについて。
- パネリスト:
-
- スクラム開発をやっている。もともとはプログラマーの中で広まり、今では会社全体で使っている(イニス、Robert Ota Dieterich氏)。
- スクウェア・エニックスではチームごとに体制が全然違う。(スク・エニ、Colin Williamson氏)
- ドキュメンテーションが多いと感じた。後から参加する人のためにしっかり用意している。(グラスホッパー、Kees Gajentaan氏)
- 質問者(日本人):
- オブリビオンのようによくできているがこのグラフィックが日本では、というような例があるが、日本のゲームでこうすればよかった、というものは。
- パネリスト:
これらの質問も面白かった。個人的には、開発体制の質問は興味深かった。
感想
外から見ると良く見える、とはよく言ったもので大変興味深いシンポジウムだった。第3者的視点はいつも有効だが、交流が少なく、文化的な島国根性・鎖国主義の中に居ると、その事実すら認識できないことには恐ろしささえ感じる。
残念なのは、ディラン・カスバート氏が欠席だったこと。他のパネリストでは答えられない質問がいくつかあったが、氏の経営者としての経験、日本在住の長さを考えればもっといろいろ興味深い話が聞けただろうに実に残念である。