FM-TOWNSとフリーゲーム

私のコンピューターゲーム歴を語るとするならば、FM-TOWNSをはずして語ることは出来ない。

私のコンピューターゲーム歴で記憶に残っている最も古いものは友達の家でファミコンをプレイしてきた記憶と、LSIのレースゲームらしきものをプレイしていた記憶がある。これが小学校に入る前の記憶だ。いわゆるゲーム機を初めて購入したのは小学校3年の時である。だがその前に何故か家にはマイコン*1があり、我が家でのゲームプレイの原体験は実はPCゲームだったりする。その後普通に家庭用ビデオゲーム機を購入して遊んでいたが、特に特筆すべきことはない。むしろ、未だに個人的に影響があるのはFM-TOWNSとの出会いだ。

FM-TOWNSは世界初CDドライブ標準搭載のマルチメディアPCとして有名である。現ニフティ社長の古河建純氏が開発の指揮を取ったマシンだ。私は最初FM-TOWNS II UX、その後FM-VTOWNS Fresh GTと2台のマシンを使用した。TOWNSはゲームパッドが標準搭載され、さらにCD-ROMを入れるとすぐそのままソフトが動く*2ためにゲーム機としても面白いマシンだった(事実、Martyというゲーム機が発売されている。)。

とはいえ、私の実家はド田舎だった上に、ネットも当時は一般的でなかったし、パソ通にも手を出さなかったので情報が全然なく、ましてやソフトの購入もできなかった。唯一の情報源がOh!FM-TOWNS誌であり、この雑誌には大変世話になった。Oh!FM-TOWNS誌は最後の数年にCD-ROMを付録としてつけた*3号を出していた。この付録にはフリーのゲームソフトが多数収録されており、色々遊んだものである。

今回この記事を書こうと思ったきっかけは、ある当時のソフトをネット上で見かけたからである。http://www.gamedesign.jp/
ここで「王様のつまみ食い」というソフトが公開されている。このソフトはOh!FM-TOWNS誌にも紹介されていたソフトでアレ?と思った。もしかして、と思って調べてみると、どうもココの有限会社ゲームデザイン代表の伊藤氏はITARO氏のようだ。ITARO氏の「the rebel of SHIVA」というシミュレーションゲームはシビアだが面白く、かなりやりこんだ記憶がある。

さらに色々辿ってゆくと、先日Trackbackを頂いた島国大和氏の名や、シューティングゲームアルゴリズムマニアックス (C magazine)の著者、松浦健一郎氏の名前も見つかった。島国大和氏のゲームはプレイした記憶が無いが、存在は知っていた。松浦健一郎氏は当時Oh!FM-TOWNS誌に連載を持っており、当時の私には高度すぎて理解できなかった記憶がある。氏の「Sky Duel」はグリグリ動く3Dゲームであり、TOWNSで3Dが!と興奮していた記憶がある。その後私が3DCGの世界に足を突っ込んだことに少なからぬ影響があった。

当時は各社の独自アーキテクチャマシンの群雄割拠時代であり、NEC PC-98が圧倒的な存在感があった中で、今よりもフリーゲームの数も少なく、また、手に入れにくい時代だった。当時のフリーゲームは荒削りだったが、市販のゲームには無い、原石の輝きと作り手との心理的近さがあった。ネットの現代でもそれは出来そうだが、これだけフリーゲームがあふれかえり、飽和した現代では何故かその感触を感じない。この10年の間に一体何があったのか。何故ゲームインディーズが盛り上がらないのか、そのあたりヒントがありそうな気がしてならない。

*1:日立ベーシックマスター・レベル3というマイコンhttp://www.japan-net.ne.jp/~a-ueda/oldcom/l3/

*2:裏でOSが起動しているらしい。まるでゲーム機のような仕様だった。

*3:当時は雑誌付録にCD-ROMをつけることが認められていない時代だった。たしかその号だけムック扱いだったはずだ。