ゲーム・パッシングのその先に

Got Game: How the Gamer Generation Is Reshaping Business Forever

Got Game: How the Gamer Generation Is Reshaping Business Forever

こんな本があるらしい。「インサイター:ゲーマーは仕事がデキる」と言う記事で紹介されている。以前報道された「AZOZ BLOG: ゲームしている医者は手術が上手」や「「テレビゲーム愛好家は依存症ではない」とする研究発表」、「「ゲームが恐怖症克服に効果あり」(カナダの大学研究結果)」のような話もあることであるし、海の向こうでは一種ポジティブ・キャンペーンの様相を呈している。

では海の向こうでは例のゲーム脳のような話は無いのか、と言うとそうでもない。たとえば、MAVIA(Mothers Against Violence In America)という暴力表現に反対するNPOが存在し、北米ビデオゲーム業界に圧力を掛けてくる。同様の例はHotwiredにも日本語でいくつか例が紹介されている。

特に下の例は議会まで問題が波及したということで大きな問題になった。ポジティブ・キャンペーンの流れはこういったことも原因のひとつだろう。

こういった流れは、「「子どもとテレビゲーム」に関するNPO等についての調査研究−米国を中心に−」に詳しくまとめられている。これが一覧性のある資料としてはもっとも良いだろう。

対して、日本国内の場合、何故かネガティブ・キャンペーンばかりである。ネガティブ・キャンペーンにまともなものが殆ど無いからとはいえ、ポジティブ・キャンペーンの少なさはやはりバランスが悪い。ざっとネット上を眺めてみても、ゲイムマン氏のAll Aboutでの「ゲーム業界ニュース ゲーム脳関連記事」が目に付くものの、これは結局反ネガティブ・キャンペーンではあるものの、ポジティブ・キャンペーンとはいいがたい。この記事「ゲーム脳っていうのは頭が良いってことなんだ」のようなポジティブに捉える記事もあれど、基本は反論の枠を超えていない。枠を超えた少ない例としては、例えば脳と仮想の5章や、シリアスゲームジャパンと言った活動ぐらいだろうか。これは非常に稀だ。

このバランスの悪さについて、ゲームツルギーのa3210氏の考察が興味深かった。


日本ではゲームに対して悪意を持っている人が多い理由の一つとして、ゲームの本質が日本人に馴染まないという点もあるのではないでしょうか。日本人は基本的に争いごとが嫌いです。それに対して、ゲームは基本的に競争するものです。

なるほど、「出る杭は打たれる」文化の下では、ネガティブになりやすいということは十分考え得る事だ。

尤も、相手が文化だから仕方ないね、と暢気に言っているわけには行かないだろう。何が問題かといえば、ネガティブ・キャンペーンなのではない。一方の流れしか存在せず、非生産的なながれになってしまうこと、だ。


利権団体としての「ゲー倫」設立であるとか、成人向けコンテンツに対する課税強化であるとか、あるいは天下り先としての「専売公社日本ゲーム産業」の設立だとか、なんだかそんな陰謀が浮んできた。更に最近は何かと「健全化」がお題目となってもいるので、そういった話をねじ込み易い状況にある様な気もする。

この話、否定できないあたりが暢気になれない所以である。また、昨今の娯楽業界の低迷を考えるとエンタテイメント・ビジネスの場外乱闘である、という説も否定できない。ある流れの裏には、その流れを望むものがいる、というのは至極当然なのかもしれないのだ。

まあ、とはいえ現時点では陰謀論の類であるし、それが本当かどうかは重要で無い。本当の問題は「非生産的な流れ」という、作り手にとって首を絞められる方向である。ある意味、死の宣告だ。そこまで極端でなくとも、作り手にとってもっとも耐え難い方向であるのは間違いない。残念ながら、現状はこの方向に進んでいるようである。バランスの是正をしなくてはいけないだろう。

では、バランスの是正にはどうすればいいか。現状のゲーム・バッシングの流れのなかでそんなことが出来るか、と言う疑問もあるだろう。だが、正確には現状はゲーム・パッシング(passing)だ。世の中の人はあまりにもゲームに対して無知だ。みんなスルーしてしまっている。ゲームは仮想現実である云々だとか、コンテンツ・ビジネスにほとんどゲームの話が出てこない、だとか、*1無知ゆえの議論以前の問題がゴロゴロし、その裏で一部の流れだけが進行しているのが現状だ。そういう中で、如何にゲームに眼を向けてもらうか、がおそらくキーとなるだろう。きっかけは別にゲーム脳だってかまわない。ゲームに眼を向けてもらうことが必要だ。

否定的な流れに対し、肯定的な流れがすくないというアンバランスさは、ゲームへの無知、興味関心の少なさが原因である。このアンバランスさは作り手にとって良くない非生産的な流れの予兆であり、作り手はその流れに一石を投じなくてはいけない。その石は、ゲームを知ってもらうこと。作り手は、自らの世界に閉じこもらず、ゲーム以外にも手を足を伸ばさなくてはいけないようである。

*1:個人的な愚痴を言わせてもらえば、ゲームがデザインされるものだという認識の無さには徒労感が出る