ワンソース・マルチユースだとかメディアミクスだとか言うが…

結局の所、タイアップによる宣伝であって、コアのメディアにあるコンテンツ以外は広告宣伝扱いだ。まあ、そもそもメディアの質が違うのだから、通用する方がおかしい。メディアミクスの代表例として取り上げられるポケモンもゲーム以外は特筆すべきものは何も無い。単体で勝負になるものは皆無と言ってもいい。そのポケモンですら、かなり稀な成功例なのだから、それ以外の例がどの程度なのかたかが知れていると言うものだ。

不思議なのはタイアップが目標であるのに、タイアップの方向が偏っている、と言うことだ。よくある典型的な例では、ゲームとアニメ(TV,映画,DVD)とコミックとカードとその他もろもろのキャラクター商品(お菓子とかふりかけとか?)とかその程度だ。タイアップの例にもよるが、ほぼこんな感じだろう。一体なんという偏り具合だろう。

どのメディアでも面白い、どのメディアでも楽しめる、などというのは幻想だ。そう考えると、認知度を高め、知名度を増やすというタイアップの基本的な効果を発揮させるためには、あまりにもアピールの方向が偏り過ぎている。ターゲット層が狭すぎる。一部の人間のみが熱狂し、それ以外の、潜在的な層にはまったくアピールしていないのではないかワンソース・マルチユースだとかメディアミクスだとか、やたら持ち上げられるが、実際の所その効果には疑問だ。少なくとも賞賛するほとたいしたことではないだろう。

無印良品」や「Will」といった一種の生活ブランドがある。身の回りの実用品全てのタイアップといっても過言ではない。エンターテイメントビジネスの外を向けば、実用品の世界ではこんな試みがだいぶなされている。これに比べればメディアミクスなんてのは子供だましだ。いくらでもやりようがある。

もちろん実用品の世界と娯楽の世界を同一視は出来ないだろう。だが、実用品のビジネスのシビアさと娯楽ビジネスのシビアさは、方向性は違うものの、度合いと言う意味では同じである。むしろ実用品のビジネスの方が先なのだから、色々な試みの歴史は多分娯楽ビジネスよりも長いだろう。そんな先例からは、もっともっと出来るよ、という示唆を見出すことが出来るのではないか。

話がそれたが、要は、「偏っている上に徹底度が足りないんじゃないの?」という問いだ。放っておいてもビジネスになる”古き悪き”時代の夢を見なくなるのはいつの日か。市場がなくなってからでないことを切に願う。