「面白い」だとか「Fun」だとかは、使える道具ではない

ConquestArrow2004-12-16


個人的なゲームにまつわるNGワードと言えば、「ゲーム性」「ユーザー」「面白さ」の3つである。基本的に安易にこれを使っている人は信用しないことにしているが、意外と開発者ですら良く使う。少なくとも前2つは開発者の使う言葉でないと思うのだが…。

さて、ここで問題なのは「面白さ」だ。「『面白い』とは何か?」という問いはゲームに関わるありとあらゆる所で問題になる。ところが今まで一度も納得いくような「面白さ」の説明に出会ったことはない。一体何故か。少なくともかなりの昔から追及されてきたわけで、その説明ぐらい上手く付いてもよさそうなものなのだが。

個人的に色々考えた上で、「面白さ」という言葉は基本的にNGワードにすることにした。というのも、「面白い」とは結局、ある個人が特定のものに賛同しよい評価を付けた、ということの表明以外の何者でもないからである。「面白い」が面白いか否かという評価でしか語られないのも、個人によって評価軸が変わるのもそういう理由だからだ。これではこの「面白い」という言葉をきっかけにしてエンターテイメントを成立させることは出来ない。「面白い」ゲームを目指す事がさも当然のように言われているが、「面白さ」が個人の表明である以上、複数人でそれを目指すわけにはいかない。「これが面白いんだよ」を理解できるのはその発した本人のみなのだ。

とはいえ、ある程度多くの人間に受け入れられるものはあるわけで、それを「面白い」ものと言ってしまうのは別に間違いだとは言えない。それがこの言葉の難しい所だ。個人的に欲しいのは、もう少し意味分化された客観的な指標となる言葉だ。せめて意味分化だけはして欲しい。「面白い」だとか「Fun」だとかは、使える道具ではない。