エレクトロプランクトン ELECTROPLANKTON公式

昨日ページが無いと書いたらすぐに公開されたようだ。"第二のローンチ"として興味深い。いや、それ以上に興味深いのが、インタビューである。昨年のパネルディスカッションでも思ったが、岩井氏はゲームを良く理解している。これはゲームではない、というくだりはまさにウィル・ライトの「シムシティはゲームではなくトイである」という話そのままであるし、おそらくそれを知った上での発言だろう*1

また、メディアアートを商品としてNDSで展開しよう、という任天堂の戦略も面白い。このエレクトロプランクトンは「ジャンル:メディアアート」と臆せず銘打っているが、これはつまり、今後メディアアート作品のプラットホームとしてNDSがなり得るということである。そう考えると、是非開発をオープンに!と期待したくなるが。

さて、この試みがゲームビジネスのひとつの示唆になる可能性も指摘しておくべきだろう。現在の問題といえば、20世紀的な消費財としてのエンターテイメントの波に飲まれたコンピューターゲームは、拡大方向に短い期間で次々に出す、という戦略を迫られている。こういった流れの元ではEAのようなところが強くなるのは当然である。だがしかしそれゆえ「驚き」を提供できない仕組みになってしまい、エンターテイメントからかけ離れつつあった。これが現状の問題を簡単にまとめた所であろう。

この流れを断ち切るためには、「消費財を止める」という新たな21世紀的ビジネスモデルを開拓しなくてはならない。これは実に困難だが、20世紀的ビジネスモデルが既に破綻していることを考えれば、この方向にしか先は無い。メディアアートがヒントになるのは、それが肥大化傾向を持たない、という点である。ディテールは結局消費されるものなので、肥大化傾向にあってディテールのかさを増すしか能の無いものは消費財にしかならない。しかしメディアアートはその純粋さ(といえば聞こえがいいが、正確には無頓着さ)故に、本質にバカ正直であり、ディテールに無頓着だ。必要最小限のディテールしかつぎ込まないし、そのディテールですら作品にぜったいに必要である(とアーティストが主張する)為に無駄が無い(というか、アーティストが認めない)。是非は別にして、アーティストという強力な我侭の存在が、肥大化傾向の防止になっている。これをヒントにしない手は無いだろう*2

マイク付で4800円だが、プレイ(?)してみる価値はありそうだ。

*1:オトッキーの時代から関わっている訳で当然といえば当然である

*2:だからといって、「自分が作りたいものを我侭にやればいいんだ!」などという浅はかな結論に至らないのは言及するまでも無いことだ。