ゲームにロゴスを

私はこの「はてな」で自分の思いついたこと、考えたことなどを適当に書き散らしている。昨年の9月ごろから続けてきたわけで、だいぶ書き散らすのにも慣れた。このアーカイブが何の役に立つかは知らないが、まあノイズ以上のものにはなるだろう、と自らの未熟さを露呈させながら書き綴っている。

書き散らす中で、いくつか不満に思った点がある。まず最初は、WEBの表現力のなさ、正確には文章の表現の限界に不満を持った。もっとも、これは仕方ない話で、いまとなってはそれを前提にして書くことにしている。もうひとつ、特に最近痛感しているのが語彙の不足、ボキャブラリーの数の少なさだ。

私は主にここでコンピューターゲームに関して思ったことを色々と書いている。ざっと見直してみるとビジネスっぽい話と最近では禁断のゲームデザイン話もちらほら見受けられる。「ゲーム」と括ってしまうのは簡単だが、巷でいう「ゲーム」のカテゴリは主にゲームプレイやゲームに纏わる文化の話が中心であることを考えるとかなり異色だろうと我ながら思う*1。この異色な話題を構築するのに必要な語彙に苦慮するのだ。

「ゲームことば」は使えない

巷にある「ゲームことば」は基本的にプレイヤーという立場のコンテクストから生まれてきたものである。まあ、それはそれでいいのだが、私のような話題には使えない。いやむしろ使ってはならない場合もある。例えば「「面白い」だとか「Fun」だとかは、使える道具ではない」という記事で書いたような例だ。

ビジネスの話ならば、エンターテイメントビジネスを始めとしたビジネス用語や考えが流用可能なので比較的語彙を集めやすい。書きやすい話題、とも言える。しかしながらそれ以外、特にゲームに特有の話題をする際には本当に語彙の少なさを痛感する。たとえばゲームデザインなどの分野はほとんど語彙が整理されていない。「あれを説明したいが、何といえば分からない」などというのは日常茶飯事だ。

Gamasutraの「Formal Abstract Design Tools」という記事は1999年のものだが、特に以下の一説は同様のことを主張していて興味深い。


The primary inhibitor of design evolution is the lack of a common design vocabulary. Most professional disciplines have a fairly evolved language for discussion. Athletes know the language of their sport and of general physical conditioning, engineers know the technical jargon of their field, doctors know Latin names for body parts and how to scribble illegible prescriptions. In contrast, game designers can discuss "fun" or "not fun," but often the analysis stops there. Whether or not a game is fun is a good place to start understanding, but as designers, our job demands we go deeper.

仕方無しに「クオリア」「アフォーダンス」などの認知科学系の用語を持ち出したり、既存のデザイン学からの用語を持ち出したり苦慮しているが、まあ、うまくいかない。流用は所詮流用に過ぎないことを痛感する。

ゲームに言葉をもたらすことの意義

現状何の形にもなっていないゲームアカデミックでならば、学生が一人絶望するだけで何の問題もない。だが、実際の開発現場、特に近年の大規模な開発現場では大きな問題になる。コンセンサスを取らずにどうやって協力して開発をするのか。考えの共有の中心はやはり「ことば」を用いることだ。現場では何か知られていない語彙が成立しつつあるのではないか、と期待したが、やはり期待はずれ*2だったようだ。何故ゲームアカデミックが何の形にもなっていないかと言えば、これも結局は、語彙が無いから、というところに行き着く。「〜学」を「-logy」と綴るが、この原義は「logos」つまり「ことば」である。ことばがない、語彙がない、というのは結局学問の不在を意味するのだ。道理で探してもないわけだ。

そんな訳で先日「はてなグループ」にてGame and Logosグループと言うものを作ってみた。といっても何も出来ていないが。結局、なにをするにしても、その下地からつくらければならない、という結論に落ち着いた訳だ。

驚きのニュース

今回この記事を書こうと思ったのは、驚きのニュースが入ってきたからである。Game and Logosグループを適当に作ったものの、当初は個人用で考えていて、さらに別のことに気を取られていて放置状態に早くもなっていた。ところが今日久しぶりにGreg Costikyan氏のBlogである「Games * Design * Art * Culture」を覗いてみたところ、「Game Development Lexicon Wiki?」という大変興味深いエントリーを発見した。

冒頭に、


I'm considering launching a wiki to provide a lexicon for game developers.

とあるように、ゲームデザインの語彙を集める開発者向けの辞書的なWikiを氏が立ち上げようかと考えているらしい。詳細は記事を読んで欲しいが、私が考えていた時期とほぼ同じ時期に同様な事を考えていたとは偶然にしてはあまりにも驚きだ。氏曰く、このような語彙をまとめる試みとしてはUT/Austinの「Game Design Lexicon」プロジェクト、Game Design Wikiなどがあるが、前者は伝統的過ぎ、後者はゲームデザインパターンに特化していて範囲が狭すぎる。ゲームデザインの語彙をゲームデザイナーだけに限定する必然性は何もない。Wikipediaみたいなモノにしたい、とのこと。

よくよく考えてみれば、この語彙の整理も一種、ゲームデザイン研究の範疇かもしれない。特にそれがゲームに特有の場合はそうだ。少なくとも、言語以上の意思疎通の道具を持たない我々にとっては、ことばをまとめることは決して無駄ではない。

追記として、昨年来日したIGDAのJason Della Rocca氏がIGDAのサイトでWikiを用意するかもしれないといっているらしい。実現するかどうかは分からないが、妥当な選択だろう。いくらCostikyan氏とはいえ個人でWikiを運営するのは大変だ。さらに、そこの記述の妥当性も問題になってくる。開発者の集まりであるIGDAが運営し、多くの開発者の目に触れることが現時点で一番良いものが出来うるだろう。この領域ははっきり言って机の上で云々と考えていても始まらない分野だ。そういう意味でもこの試みには大変興味深い。

ただ個人的に気になるのはこのWikiが実現するとして、国際化に関してはどうなのだろう。英語ばかりでまとめられても結局情報格差が生じるのみだ。こういった語彙はネイティブなものでなくてはいけない。そうでなければ道具としては2流になってしまう。少なくとも、ある言葉に対してのその説明はネイティブの言語で読める必要があるだろう。

そういえば、IGDA-JにもかつてWiki(Xoopspukiwikiプラグイン)があったようだが使われた形跡も無く、最近はまったく見なくなった。同様のことをIGDA-Jでやるのはかなり難しそうな気もする。そもそもあそこはもっとヒット数が多くならなくてはいけないところのひとつだ。

いずれにせよ、問題は多々ありそうだが、素直に今回は期待したいと思う。なお、国内の開発現場において語彙の不足を某有名アニメが補っている、という自説があるのだが、話がそれすぎるためまたいつか書きたいと思う。

*1:私の記事がたとえゲームについてかなり濃く書いてあったとしても、ゲーム関連のはてなキーワードにあまり引っかからない。今回もGamasutraについてキーワードを作った。こんなこともキーワードになっていないなんて!

*2:少なくとも私が潜り込んだ経験の中ではそのような話は無かった。基本的に、かつてのゲームの一要素を指して、あんな感じ、という具合で意思の疎通を試みていたりする。案の定、伝わりきる訳も無く、開発終盤になってそのツケを払わされる形になる。もしかしたらうまく意思疎通のシステムが出来ている所もあるのかもしれないが、その内部だけで流通し、外には出ていないようだ。国内の業界全体としては、特に何かがあるわけではない。このあたり国内の開発体制が抱える根本的な矛盾である。つまり、開発規模は増大傾向にあるにもかかわらず、意思疎通のための道具である語彙がまったく整備されていない。これでうまく行くのは奇跡的であり、開発規模がデカイままならば、語彙を整備して行かなければいつまで経ってもうまくいかないだろう。