ゲーム技術を広く活用する「シリアスゲーム」とは何か〜シリアスゲームジャパン藤本徹氏インタビュー

anotherway.jpで藤本さんがSerius Gamesについて語っていたころからシリアスゲームの動向には注目してきたが、ここ最近になってメディアへの露出が増え、日本でも認知度があがって来た気がする。「シリアスゲーム」というはてなキーワードを作成したのは私だが、言及される日記の数を見ていても、日増しに市民権を得ているようだ。やはり「役に立つ」という魔法の言葉は魅力的なのだろう。

この記事は日本語で読める"わかりやすい"記事としては良くまとまっている。脱線もあるが、逆に堅苦しくなくて良いかもしれない。だが、この記事を読み終えて、何らかの不満を覚えたらたぶん正解だ。

その不満とは「なるほど概念としては良く出来ている、では実際の例は?」という考えを抱いた場合に出てくる実例の少なさだ。件の記事でも米国の例が多々登場するが、正直日本じゃ誰も知らないような例で例示として意味を成していない。本当にそれが有効なのか?と言う疑問を答えていないからだ。

また、こういう不満もあるだろう。純粋なエンターテイメントビジネスのゲームですら良い出来のものを創るのは大変なことなのに、「役に立って面白い」などというあれもこれもと欲張ったシリアスゲームが本当に創れるのか?可能性ばかり声高に叫ばれるが本当に可能なのかさっぱり分からない、なんだか胡散臭い―。特に作り手側の人間から出てきやすい不満である。

私個人としては純エンターテイメント主義者なので、「役に立つ」と言う不純な考えは抱いたことがないし興味がない。これらの不満ももちろんある。しかしながらMLにまで入っているのは、シリアスゲームがその試みとして可能性を持つからである。いままでのゲームの革新への試み、その試みから一歩はなれた場所からの試み。それがシリアスゲームであると考えている。シリアスゲームがゲームに革新をもたらすとは考えていないが、可能性は否定していない。ゲームの可能性に注目している人間としては注目せざるを得ない。

そんなわけで、簡単に終わって欲しくはない。某学会は先行きがかなり怪しいらしいがそういうことの二の舞は避けて欲しい。でしゃばりすぎず、簡単に終わらず…、私が求めるのはそんなところだ。