市場には「既に死んだとされるタイトル」が多数彷徨っている



現在、TVゲームという商品は他のプロダクトと異なり、何年もかけて売るといった性質の物ではなく「初動重視」という認識になってしまっているのだが、そろそろその認識の上でコンテンツを作る事に無理が出始めてはいないだろうか?また、市場には「既に死んだとされるタイトル」が多数彷徨っているのである。しかも続編ならば前作が多量に且つ安価に市場に転がっているのである。もはや既にあるビジネスモデル自体が成り立たなくなってると考えるべきであろう。

以前にファミコンミニのヒットを受けてid:hiyokoya氏と話したことがある。「ファミコン期の古いタイトルは今でも十分商品価値を持っているのではないか、古いと言ってもたかが20年以内であり一般的にはそれほど古くもない(1980年代ならば一般的には「最近」と言われてもおかしくない)のではないか。」と。そしてそのタイトルは場合によっては最新のタイトルよりもエンターテイメントとしてクオリティが高い場合すらある。

ファミコン期でなくともよい。もっと最近、10年以内でもいい。PS期は隠れた名作が意外と眠っている。そしてそれらは未だに市場に流通している。Playstation2がPS1との互換性を持ったことで、PS向けタイトルの"寿命"はかつてのファミコンスーパーファミコンに比べ約2倍に伸びた。新作タイトルは、まずそれら未だ生き続ける旧タイトルと戦わなくてはならない。しかし、その事実が指摘されることはあまりにも少ない。

前世紀、エンターテイメントと言うものは消費されるものだった。それはコンピューターゲームビデオゲームにおいても同様だった。だが、それらがいつの間にか市場にストックされ、さらにそれらについての情報がいとも簡単にアクセスできるようになる。消え去るもの、から残り続けるものへと世紀を越える中で変化してきた。「ファミコン」があれだけ高い商品性を未だ保持する現状を見ると、今世紀もコンピューターゲームというエンターテイメントがただ単に消費されるだけのもののままだとは私には思えない。