無数の柱を前にして開発者は何を夢見るか

PSPとリッジレーサー

後半は概ね同意。はっきり言って、現状ではPSPにせよNDSにせよ、ローンチの魅力は殆ど無い。ゲーム機はただの箱に過ぎない。それを一番理解している人たちが、同時に箱の中に入れるものに苦心している。

PSPNDSでは見ている市場も、想定するコンテンツも全く違う。従って大抵の比較はナンセンスなのだが、ひとつだけ両者が同じものを向いているものがある。それは「作りやすさ」である。

SCEにせよ任天堂にせよ現状の市場に危機感を持っているのは確かだ。そしてプラットホームホルダーとして市場を変えられると自覚しているのも事実である(この点でいえばMSに市場を変える力はまだ無い。いまだかつてのセガにも及んでいないのが現状だ。)。そして彼らの問題意識も共通している。作りにくいのはよろしくない、と。

作りにくい原因に挙げられているのは両者では若干違うようだが、いずれにせよ良くないという認識では一致している。「作りやすさ」を実現するためにMSはPCアーキテクチャDirectXを用意したが、それで市場の覇者になることは出来なかった。それに対してSCE任天堂が取り組んだのは不思議なことに「選択肢を増やす」という同じ方法だった。

任天堂NDSを「第3の柱」と位置づけている。SCEにしろ柱が増えることに違いは無い。柱が増える、ということはさまざまなリソースを振り分ける先が増えるということであり、一つ一つが手薄になってしまうというリスクがある。このリスクをもってしても両者が柱を増やす手法を取ったのは、両者の問題意識が繋がっているという証左である。

柱を増やす、ということはそれだけさまざまなコンテンツの受け入れ体勢ができる、ということである。ゲームコンテンツと言ってもじっくりボリュームいっぱいの据え置き型に適したものから、軽く小さくアイディア勝負のコンテンツまでさまざまだ。それらの開発に必要なリソースの量もピンキリである。しかしながら、柱が一本しかなかったらどうなるか。平均価格が8800円のなかで1500円が適正価格のコンテンツはそうそう簡単に出せなくなる。持ち歩くことが前提の柱で、じっくりゆっくり腰をすえて、のコンテンツがそうそう出せるか。「つくりやすい」とは、単に必要な技術力やリソースが少ない、と言うことではない。ベストなプラットホームや市場を選べる、ということも重要なのである。

前世紀までは柱は一本しか立っておらず、柱が老朽化するとそれに変わる新しい柱が立てられていた。実際は小さな柱が無数に立ったり、長い間立っていた柱もあったのだが、いかんせん存在感に欠けていた。それが今世紀に入り、数本の柱に変わった。そして今PSPNDSという新しい柱が新たに立てられた。SCE任天堂は新しい柱に過去の栄光をダブらせて見ているかのようなふしがあるが、前世紀の様な絶対的柱はもう存在しない。それだけに特化すればよいと言う柱も存在しない。まさにカオスに向かっている。

カオスを前にして一番苦心しているのが開発者である。ローンチタイトルの訴求力の無さはそれを如実に顕している。コンテンツの規模や質をどうするか。昨今の動きは、これまで適切な場所が無かった開発者にとっては福音だが、そうでない今まで食ってきた大多数の開発者にとっては厄介な状況だろう。箱物の特徴にアイディアのきっかけを求めるのも良く分かる。ただし、そこに答えがあったことはかつて一度も無いが。