ポスト身体性の時代へ
ふと考えが湧いてきそうだったので、授業をすっぽかしてこの本を読んだ。
- 作者: 岡田美智男,佐々木正人,三嶋博之
- 出版社/メーカー: 共立出版
- 発売日: 2001/08
- メディア: 大型本
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認知科学系の本はどうやらまとまりがないのが主流らしい。まあ、それはどうでもよくて、前半は面白いことが色々書いてあった。後半に行くにつれ、陳腐に感じられ*1、最後には限界をはっきりと感じた。
とりあえずメモ。
ダブルタッチの問題:恐竜は何故自分の尻尾を食べなかったのか?
この本の中で一番面白かった。
「幻肢の研究をしたRamachandranの実験で、目隠しをして自分の腕を持ってもらい、まず自分の鼻を指で触らせてもらう。次に、3人目に近づいてもらって自分の指は3人目の鼻を触り、腕を持っている人に自分の鼻を触ってもらう。このとき触るのは同時。1分くらい触り続けて、だんだんと3人目を遠ざけてゆくと、自分の腕が長くなったような感じがする。」
「つまりこれは「ボディ・イメージ」の変更であり、「ボディ・イメージ」は学習される。しかも1分くらいで。」
この話を読んで思ったことは、これは要するに「身体の拡張」が意外と容易に出来るのではないか、ということ。冒頭で佐々木・岡田両氏の対談があり、その中で下半身が肩しか動かない人が、訓練の結果実に見事に靴下を履くようになったという話を佐々木氏が紹介していた。これも近い話のようだ。
何故面白いと思ったかと言えば、この身体の拡張の容易さをうまく利用しているのがコンピューターゲームなのではないか、と思ったから。ICOとか塊魂*2とか例を挙げるまでもなく、古典作品の昔からここに注力してきたように思えてならない。「触れる〜」とか「感覚」とか「インタラクション」とか言われてきたこと全てがここに繋がるような気がする。うまく説明できないが。
そのほか
メモした言葉。
- 身体性とは、物理的な生の身体にとどまらず、他者を含む社会的な環境においてこそ深い意味を持つ。
- 生物は環境とのインタラクションを通じて、自らの身体性を反映したアフォーダンスを獲得する。
- ヒューマノイドロボットの動歩行(重心を崩すことによってバランスを取る)に感じるワクワク感→不定性を内包する身体の行為と大地との関係性から生まれる。
- コミュニケーションとインタラクションのニュアンスの違い。
考えたことのメモ。
エンターテイメントなのでどちらも経験だが、その質が違う。
ロボットの話が多かったので今の流れを比較してみた。
- ロボット
- 役に立たないものを目指す
- ゲーム
- 役に立つものを目指す
真逆だなぁ。それにしてもロボットの話が多く、色々ゲームにも通じる話があった。「テレビゲーム文化論」を思い出した。
まとめ
ぜんぜんまとまってないが、消化はこの後ゆっくりとしよう。それにしても、最終的にはやはり、限界を感じた。ゲームでは既にやられてきたことで当たり前すぎる。抑えるべき基本ではあるが。ということでポスト身体性を探る必要をさらにひしひしと感じた。