明日、あさってはセンター試験らしい

私自身の場合は大学入試も苦しんだが、それ以上に大学に入ってから苦しんだ。そして今でも苦しい。なんといっても、やりたいこと(私の場合はゲームデザイン研究だった。それがすべての元凶だったと思う。)が出来ない。まさか、出来ない、とは思わなかった。大学に入れば何とかなるのではないか―、今となっては甘すぎる考えだが、当時の手に入れられる情報の中の判断としてはそれほど間違ってもいなかった。

結局のところ、ここまで稚拙で、情報もないとは予想できなかったのだ。研究者はゼロではないが、それらの人々の情報交換はゼロに等しく、またその話題についての情報も皆無に近い。はっきりいって学問は存在しない。その事実をしったのはつい最近のことだ。はっきり言って2年半以上かかった。それくらい情報が無かった。大学に入る前の片田舎の高校生に果たしてその事実が分かるだろうか。

生まれる時代が早すぎた。もしくは生まれた場所が悪かった。右往左往して気がついたらもう3年も終わりに近い。悔しくないといったら嘘になる。悔やんでも悔やみきれない。

最近ふと、もっと汎用性のある、もしくは食ってゆける研究テーマを選べばよかったのではないか、と思う。そうすれば研究室が無い、研究仲間がいない、何をして良いのか検討がつかない等ということは無かったはずだ。少なくとも、研究活動を進めることは最低でもできただろう。4年前の自分に会えたなら、多分言っても聞かないだろうが、それでもなお、別の道を勧めるだろう。生き方上手になれよ、と。

センター試験のニュースを聞くたびに思うことがある。私は一浪して現在の大学に入った。浪人時代の1年間、ほとんど他人と口も利かず(あれほど知り合いが出来なかった年は初めてだった)、青春の1ページを灰色に塗りつぶした。それだけに合格できたときの喜びはすごいものだったが、まさかそのときはそれが悪夢の始まりだとは夢にも思っていなかった。あの苦労は一体何だったのか。あの喜びは一体何だったのか。その苦労が実を結ぶ将来図は、未だに見ることが出来ない。