奥歯に物が挟まったような通り一遍の返事を書くのが精一杯だった

日曜の午後に「ご挨拶」と書かれた件名のメールが来ていて一瞬spamメールか*1、と思ったが差出人を見て驚いた。

差出人は某大学の某先生からで、内容は件名どおり挨拶と、学生を募集しているのでどうですか、というような事が書いてあった。さてどう答えるものか、と悩んで取りあえず検討します云々とありきたりな返事を返した。むむぅ。

本音を言えば、進学は今現在全く考えていない。半年前までは進学する気十分だったのだが、これ以上日本のアカデミックに期待しても得られるものは少ないと悟ったからである。今の大学にしろ、他の大学にしろ、少なくとも私が今の研究テーマを継続して追求するには茨の道である。あまりにも割に合わない。

研究は一人では出来ない。たとえ一人でやっていてもそれは趣味と変わらない。後に続くものも、世の中に広がることも無い。それでは意味が無い。少なくとも私が続ける作業に値しない。

「ゲーム研究」はいわゆる学際領域である。畑違いの人間が「ゲーム」というたった一つの何かによってひとくくりにされている。その中には研究で食える人もいれば、その真逆の人間も居るのだ。既にあるレガシーな分野で、さらにホットであればあるほどアカデミックな環境、即ち大学や研究機関で研究する利点がある。反対にたとえば私の研究テーマのように既存の学問や領域に足場がない場合は、そもそも居場所を見つけること自体が難しい。研究で食うなぞ夢のまた夢。寝言は寝てから言え、である。

他に道がなければそれでも茨を裸足で踏みしめてでも進んでいくだろう。だが、そんな阿呆なことをしなくても良い。クロフォード*2にせよコスティキャンにせよ、あるいはジマーマンにせよ、先駆の研究者は皆開発者だ。語られていないだけで国内の研究の先駆者も殆どが開発者であり、未だに現役で走っている。結局、アカデミックの場はアカデミックな活動をするに値しないということだ。

先日国内のゲーム業界は人材不足に陥りつつあると書いたが、ゲーム研究者の人材不足はその比ではない。ごく基本的なことすらない。産学連携?ご冗談でしょう。この3年間の大学生活で見つけたことといえば、あまりにも稚拙な、スーパーで出来合いの惣菜を買ってきて夕食にするが如く、成果の出来上がった学問を輸入するばかりで自ら苗を植え芽を生やす事も育てることも出来ない『アカデミック』のみである。ほとほと嫌になった。もはや求めるものは辛うじて卒業証書のみ。何の期待も要望もない。

そんなことだから、件のメールの返信は本当に困った。数少ない精力的に活動する人になんと答えるべきか。今の私には奥歯に物が挟まったような通り一遍の返事を書くのが精一杯だった。

*1:余談だが最近のspamメールは巧妙を通り越して笑ってしまう。

*2:クロフォード氏は元は研究者だが。