梶井基次郎とゲームデザイン

バイト先でもらった蜜柑を眺めながら、疲労と空腹でおかしくなった頭でぼんやりと考えていた。電車の中で蜜柑を手にしてじっと見つめる男なんてただの危ない人間だが。

蜜柑のみずみずしさを感じながら、そういえばこんな感じを描いた小説があったな、と思いだす。そうだ、梶井基次郎の『檸檬』だ。たしか教科書に載っていたはずだ。どんな小説だっけ。そうそう最後は素敵なイタズラをするんだった。

ここで「檸檬」の裏にあるものを見出したりなんなりといったことは私にはとんと疎い分野なので出来なかったが、あの話の素敵なイタズラが気になった。何かに似ている。そうだ、いつも考えているゲームデザインじゃないか。

ゲームデザインとイタズラの類似性は以前から多くの人が指摘している。ただ、単なるイタズラとゲームデザインは別に似ているわけではない。似ている為には”素敵な”イタズラである必要がある。丸善の棚に仕掛けられた爆弾のように、何かエライものを仕掛けておくゲームデザイン

それにしても、蜜柑を見つめてゲームデザインに繋げてしまう自分の思考もかなり偏っている。自分でもなぜここで梶井基次郎が出てきたのか分からない。やはり疲労と空腹は思考の敵だ。

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