「   」にロゴスを。


「なんでアートに群がってくる若者たちは、
これってアートだよね、みたいなキモチ
悪い雰囲気を醸し出しているのか、なぜ、
日本のアート業界には、ロゴスがないのか」

ああ、あとユビキタスとかITとかディジタルとかエンターテイメントとか…。キモチ悪くて胡散臭い、あの感覚ね。「ロゴス」が無い、と言われれば確かにそうだ。


椿さんが、「ロゴスを突き詰めていった後、
これ以上どうしょうもない、という時にアートが
降りてくる」と言ったのだけども、
 その「これ以上どうしょうもない」後に
立ち現れる精神運動も含めて、広い意味での
ロゴスなのである。

 もっとも感性的に見えるアートの中に、緻密な
ロゴスを見る。これ以外にこれからのアートが
進むべき道があるだろうか。

ここで言われるアートは"art"であって「アート」*1でない、として。

色々示唆深い気がする(理解できた気がするけど、それを言葉で表せない。ううむ、悔しい)。「"art"であって"logos"でもある」って、私が見つめているものを敢えて言葉にするとすれば、コレのような気がする。

「デザイン」の胡散臭さって、結局artでもlogosでもはたまたdesignでもなくて、「なんちゃって」「それとなく」な実態から来ているような気がする。頭使ってないことが見え見え。designが結局の所「魅力付け」であるとしたら、感性だけとか理性だけとか(そんなものが存在するのかは知らないが)そういったものには魅力が無くて、designの結果としては失敗。

「エンターテイメント」の胡散臭さって、結局artでもlogosでもはたまたentertainmentでもなくて、「なんちゃって」「それとなく」な実態から来ているような気がする。頭使ってないことが見え見え。entertainmentが結局の所「魅力付け」であるとしたら、感性だけとか理性だけとか(そんなものが存在するのかは知らないが)そういったものには魅力が無くて、entertainmentの結果としては失敗。

「アート」の胡散臭さって、結局artでもlogosでもはたまた芸術でもなくて、「なんちゃって」「それとなく」な実態から来ているような気がする。頭使ってないことが見え見え。artが結局の所「魅力付け」であるとしたら、感性だけとか理性だけとか(そんなものが存在するのかは知らないが)そういったものには魅力が無くて、artの結果としては失敗。

…ためしに「」に色々入れてみたら悉く当てはまっていて驚き。要は「頭使えよ」「全身全霊をかけろ」ということなのかなぁ。

*1:若しくはいわゆる「芸術」