ある先輩の記憶

木漏れ日が美しかったあの日。


私の所属する学部(というかキャンパス)では、1年次から研究室に所属する事が可能である。通常は3年からとか、4年からということが多いらしいので説明すると驚かれる事もある。そこで、私は1年の後半から(*注:セメスター制)とある研究室に所属することにした。

研究室ではあるプロジェクトに所属する事になったのだが、そこのプロジェクトリーダーをしていた人の記憶はいまだに鮮明に残っている。その先輩は1週間のうち週末のみ帰宅し、それ以外は研究室にずっと泊り込むという生活をしていた。その先輩の影響と、研究室に早く馴染む為に、私も寝袋を研究室に持ち込み、キャンパスの最寄り駅近くに住んでいるにも拘らず、研究室生活を送っていた*1

それ故必然的にその先輩に頼る事が多くなり、色々とお世話になる事が多かった。直接のお世話になった期間は半年だけだったのだが、いまだによく記憶に残っている(その時期が個人的に充実していたということもある。今?曇天。)。

で、ここからが本題。いつもの様にアンテナを駆使して巡回していたら、いつも面白い情報源としてお世話になってるラヴフールのtakanabeさんがラヴフール辞典という記事を書いていて、「いやあ面白いなぁふむふむ」、と眺めていたところ、どうもtakanabeさんはUGA/ソニチに参加されていたらしい。

実は件の先輩は卒業後UGAに就職、その後ソニックチームに移られて現在はアメリカで活躍中なのだ。ということは時期的に考えると、お二人は少なくとも顔見知り以上だと推測できる*2。うーむ。このギョウカイが狭いのか、それとも世間が狭いのか。

*1:ちなみに、この生活はその後も続き、結局1年間そんな生活だった。最後は2家に帰ること自体が珍しいことになっていた。不思議な事に記憶があまり残っていないが。

*2:UGAが1000くらいの人間で構成されていたら、同じ職場でも顔見知りですらないということも考えられるが、確かそれほど多くはなかったはず。今はもう無いが、UGAのサイトにはスタッフ紹介があり数えられる人数だったと記憶している。