なぜ『"デジタルコンテンツ大国"を唱える彼ら』はゲームに無知なのか?
コンピューターゲームに関る活動をしていると、日本でのコンピューターゲームビジネスの成功を持ち上げ、国の戦略に組み込もうという話に出くわすことが良くある。国の支援が得られるならば非常に助かるので、心強い…はずなのだが、困ったことに未だかつてまともな戦略に出会ったことが無い。そもそもゲームビジネスに対する理解が話にならないレベルなのでむしろ不安を感じさせられるのだ。
先日もそのような理解で戦略を立て、しかもその不十分な戦略を国レベルの戦略としてしまう不埒な輩どもを発見した。一国の戦略を担うはずの彼らには猛省を促したいところであるが、なぜ彼らはここまで稚拙な理解と戦略しかないのか。思うところあるので書いてみたい。
他の業界に比べ酷すぎるゲーム業界モデルの認識
さて、先ほどの例で述べた、知的財産戦略本部コンテンツ専門調査会デジタルコンテンツ・ワーキンググループの第4回議事資料から、彼らの理解の素人ぶりが良く分かる部分を引用してみよう。
はじめに断っておくが、これは一国の内閣の一組織が作成した資料である*1。
あいた口が塞がらない、とはこのことを指すのだろう。ゲーム業界・ゲームビジネスに関する部分があまりにも酷い。「制作」の項目では、他の業種では一応ちゃんと「職種」と「組織」の区別がつき、細かく分けられているにもかかわらず、「ゲーム系」とやらの部分には「ゲーム会社」の語句しかない。「職種」と「組織」の区別すら彼らにはついていないようだ。
さらに、あごが地面まで付きそうになるのは「流通」の項目部分だ。別に矢印で意図的に隠しているわけではない。本当に空白なのだ。この図を真に受けると、ゲームソフトはISP経由かポータルサイト経由のネットゲームしかなく、パッケージでは流通していないことになる。パブリッシャー・ディストリビューターの存在はどこへ行った??
こんな調子だから「ゲーム機器業界」とやらが「映像系」に分類されているのは仕方ないとするしかないだろう。彼らにはコンピューターゲームが「映像に毛の生えたもの」としか映らないのだろう*2。彼らに正しい認識を期待するのは酷だ。
もう一度断っておこう。これは紛れも無く一国の内閣の一組織、知的財産戦略本部が作成した資料である。どこかの単位所得に必死な学生が適当にWEBのコピペで済ませたレポートの添付資料ではない。政府の認識なのだ。
まるで冗談のような基本戦略
彼らの基本的認識の
具体的にみてみよう。まず大きな基本テーマは
〜日本を世界トップクラスのデジタルコンテンツ大国にする〜
ということらしい。一国の戦略としては正しい。これには何の不満も無い。そして、これを達成するためには、
デジタル時代は、アナログ時代と違って従来の仕組みにこだわらず、以下の6つの視点のもとに、抜本的な改革が必要である。
ということらしい。これも問題ない。で、その「6つの視点」とやらは、
視点1:ユーザーが主役である
ふむふむ、
視点2:クリエーターを大切にする
なるほど、
視点3:デジタルに国境はない
まさしく、
視点5:ビジネスモデルは進化する
その通り、
視点6:技術は日進月歩する
素晴らしい!…これだけを見れば、だが。
さて、意図的に一つ項目を飛ばしたのに気がついただろうか?それ以外は素晴らしく文句の付けようの無い「6つの視点」なのだが、前述の認識の上でコレを書いているとすると、次の項目は何の冗談なのだろうか。
- 視点4:各国と比較して一番よい仕組みを作る
- 我が国を世界トップクラスのデジタルコンテンツ大国にするためには、各国の法制度や取引慣行、業界構造などについて検証・比較し、各国のよい制度等は我が国の社会システムに積極的に取り入れる。
彼らに必要な視点は、自分たちの身近なところを正しく知ることだ。プレイヤーが主体であり(視点1)、作り手を大事にするという意味ではまだまだだが(視点2)、もっとも早くお茶の間に進出したデジタルであり、かつ、世界に広がった*3存在であり(視点3)、オープンソース→アーケード(ロケーションベースド)→コンソール(据え置き)→ネット・携帯・ワイヤレスとビジネスモデルが進化し続け(視点5)、早い技術革新の波を乗り越えてきた(視点6)業界が、目の前に存在しているではないか。
彼らはまず、その不十分な認識を改めなおし、「灯台下暗し」という
追記:「学生・生徒向けゲーム業界学習講座 応募方法」。おすすめ。
ゲーム(業界|ビジネス)に無知ゆえに生まれる、基本戦略の誤り
一消費者と変わらないレベルのお粗末な認識*4と、それに基づく冗談のような基本視点から生まれる戦略は、考えるまでも無い結論が導かれる。つまり、明確に誤りだ。IGDAの新さんは「相変わらず、映画・アニメよりの内容
」と仰っているのだが、申し訳ないが甘いのではないか。私には根本的な戦略の欠陥以外の何物にも見えない。
いつから「デジタルコンテンツ」は一方向メディアを指すようになったのか?この戦略の対象は、どう見ても"デジタルなりかけコンテンツ"でしかないように見えるのだが。これを欠陥と呼ばずに、なんと呼ぼうか。繰り替えすが、根本的な戦略の欠陥以外の何物にも見えない。
戦略の根本的欠陥を生む原因、それは人材の偏りである
この戦略を立てている彼らのリストが以下のものである。
- コンテンツ専門調査会デジタルコンテンツ・ワーキンググループ委員名簿
- オブザーバー
どう好意的に解釈しても、偏っている。特にゲーム業界やゲームビジネスに理解があるかどうか、という意味では。参考人のリストには元SCE代表取締役副社長の丸山茂雄氏(d:id:marusan55)の名前があったので、一瞬期待したのだが、参考資料をみると期待はずれだったようだ。
ゲーム業界、ゲームビジネスは文書化された情報が少ない。机上のリサーチではその実態を捉えるのは難しい。彼らは一般的にはデジタルコンテンツに理解があるとされている人たちだ。それは一般的に言えば確かに正しいと言えなくも無い。しかしながら、彼らはゲームに関しては机上の研究者だ。そして、このような戦略に求められるのは、一般的な認識で詳しい人ではなくて、本当に理解している人材が必要なのだ。
理解が難しいことは仕方ないとしても、理解が出来ないレベルではない。そういうレベルに達した人材を組み入れないコンテンツ専門調査会デジタルコンテンツ・ワーキンググループとは一体何のつもりなのか。ただのしがない落ちこぼれ大学生に根本的な欠陥を指摘されるのが、この国の国家戦略である。稚拙な理解は欠陥を含んだ稚拙な戦略しか生まない。
〜日本を世界トップクラスのデジタルコンテンツ大国にする〜
という旗印が皮肉以外の何物にも聞こえないのは私だけだろうか。
*1:矢印と出典表記は私の追加部分
*2:よくある誤解だが、ゲームが映像メディアではない、という説明は、例えば私が以前書いた記事などで説明される→参考『http://ahaa.s53.xrea.com/archives/000015.html』。そもそも近年ではメディアですらない、とも説明されている。→Jesper Jull『ゲーム, プレイヤ, ワールド : ゲームたらしめるものの核心を探る』
*3:そもそも、ゲームは遊びの子供であるが、その遊びの特徴として「文化に依存しない」ということが挙げられる。それは遊び研究のもっとも初期に、J・ホイジンガが「ホモ・ルーデンス」に於いて「遊びは文化よりも古い」と述べたことからも分かる。遊びは文化の影響を受けるが、依存はせず、同じ遊びが異なる文化間で見られるというのは遊び研究の定説である。これと比較すると、ストーリーテリングは文化を横断できるものは少なく、音楽にも明確に言語の壁が存在することなどから、遊びの文化横断の潜在能力の高さが際立って見えることだろう。
*4:消費者を馬鹿にしている訳ではない。念のため。消費者は詳しい認識がある必要は無い。問題なのはそうであってはいけない国の戦略を立てる彼らが、この有様だということだ。