その後

で、期待通り対して面白くなく、閉塞感を感じたまま帰路に着いた。それ故に気分は良くなかった。自分は本当にこの道に進んでよいのだろうか、もし道を帰るとしても帰るべき道なんてあるのか、などなど後ろ向きの考えになってしまい、いい状況ではなかった。

しかし、これを書いている今現在では考えが前向きになっている。不思議なものでどういうところからきっかけが来るのか分からないが、期待していない所から思いがけず良いきっかけが降って沸いた。なかなかこういうこともないので、このきっかけを大事にしたいと思う。

ちなみに降って来たのはゲームではなくてアニメーションであった。かつて3Dを齧っていたこともあり、アニメーション作品の鑑賞は私の数少ないしがらみ無い趣味なのだが、ちょうど購入しようと思っていたイノセンスのDVDを帰りがけに買って帰った。

あまりよろしくないという評判も聞いていたのであまり期待していなかったのだが、期待以上だった。端的に言えば、サラリとした情感を描いている。きっかけが湧いたのは、押井監督と鈴木プロデューサーの対談を見ていた時。押井氏が「犬の先に無意識がある」という話。

映画は意識を伝えるのが得意。ゲームは逆に向いていない。ゲームでストーリーテリングをやると3流になってしまうのはこういう限界があるからだが、逆に、「無意識」を伝えるメディアとしては得意なのではないか。

押井氏曰く、「昨今の人間は首から上だけの存在になりつつあり、感覚も広がっているが、それらは「意識」という形(または記憶・情報)でしかない。無意識というものを遠くに置いて来てしまった。犬のような動物は意識を伝えない世界に生きているので、無意識が存在している。人は何故犬を飼うのか。犬を飼うことで無意識を補間しているのでは。」と。この話は「身体性」という話にも繋がりそうな重要なキーのような話である気もする。

ゲームのポテンシャルについてここ数日色々考えていたのだが、「無意識を伝える」というポテンシャルに気が付いた。軸足になりそうな予感もする。この方向で考えを進めてみたい。

それにしても、この対談はとても示唆深い。なぜ押井氏に信者が付くのか分かる気もする。