ゲームアカデミック集中年度

もう既に4月に入ってしばらく経ってしまっているわけだが、今年度(2005年度)を「ゲームアカデミック集中年度」と銘打って個人的に活動してゆくつもりである。一応ここをログの中心に据えたいと思う。

理由としては、私自身が学部4年になったこと、さらに現時点で進学の意思が無いことで、集中的に活動できる最後のチャンスであるからだ。悔いの無いように積極的に活動してゆきたいと考えている。

ちなみに以前、正確には学部2年の夏ごろから約1年間ほど、「3o game lab.」というゲームアカデミックのポータルサイトを一人でこつこつと運営していたことがある。このサイトの運営はだいぶ勉強になったが、IGDA-Jの方でも同様のことが始まったので、役目は既に終わったと考えている(既に更新していない)。従って、今年度の活動はこの延長線上ではない。

ゲームアカデミックの現状に詳しい人なら誰でも感じているだろうが、日本の場合、この領域は学際領域であるにもかかわらず、個々の研究は散発的で横のつながりに乏しい。3o game lab.で目指したことが、横のつながりだとすれば、次に必要なことは個々の研究を拾い集めることだ。とはいえ、これだけ広い分野にまたがると、とてもではないが網羅的に集めることは現実的に無理だ。そこで私の主な興味範囲である「ゲームデザイン」研究を中心にまず調査しようと考えている。現実的に考えるとそれだけでは調査量が不十分になるであろうから、遊びの研究やデザインの研究、エンターテイメント研究やコンテンツ工学等などもかじる程度には調べてみたい。

もうひとつ必要な活動として考えているのが、普及活動だ。現状はあまりにも研究者が少ない。そもそも研究対象になると考えている人自体の数がすくないのではないか、と思う。私がもっとも苦労したのが、研究仲間の不在による五里霧中であり、研究者が増え、学ぶ場が出来れば、せめて私の感じたような孤独感を感じる人間は居なくなるだろう。一人で学問をすることはできないのだから、せめて普及活動をし、研究者を増やし、「知の継続」を図らなくてはいけないと考えている。

普及活動の方については具体的に話が少しずつではあるが動いている。実現の際にはここで報告したい。

理論と実践の乖離をどう克服するか(1)

ゲームデザインに対する批判でもっとも多いのが、「机上の空論だ」という批判である。それを理解した所でゲームはひとつも売れないし、ひとつも面白くならないぞ、というのだ。まあ、売れるかどうかという話はビジネスの話であるし、面白いかどうかと言う話はそもそも「面白いとは何?」というところからはじめるべきであってどちらかと言えばエンターテイメント論の領域だろう。とはいえ全く関係が無いわけではない訳で、関係があるにも関わらず「役に立たない」ではそのような批判を受けるのも当然であろう。

そのような批判はゲームデザイン研究者は重々承知済みである。悉く”実践的”なのもそういった批判を見据えてのことだ。「机上の空論」をもっとも恐れているのが他でもない研究者である。

にもかかわらず、何故批判は止まないのか。理由は簡単である。理論と実践が乖離しているからである。どれだけ実践的な理論であろうとも、それが実践されないことには何の意味も無い。批判がある、ということは現実に乖離していると言うことだ。

では、何故乖離が起きているのか。簡単に言えば、不勉強・不理解が原因である。理論を語る者が、実践の現場を知らない。実践に携わるものが、理論を知らない。理論と実践はそろって初めて効果を発揮するが、それが不可能な状況であるのだ。

遊びのデジタル化、つまりゲームにコンピューターを介す、コンピューターゲームは、ゲームデザインの幅に可能性をもたらしたが、同時に、ゲームの規模が肥大化し、作り手の分業化をもたらした。ごく初期の、デザイナーが同時にプログラマーでありアーティストでもあるという状況であるならば、理論と実践は乖離しようも無かった。だが現在はとてもではないがそうはいかない。

理論と実践は本質的に相互に矛盾を含むものである。ゲームデザインとゲームプログラミングを代表例に挙げれば、理解しやすいだろう。矛盾を内包しながら、しかしお互いを理解してゆくことは、個人の内部では可能であったが、それぞれが別々の個人に分けられてしまうとなかなか難しい。お互いを理解し合い、相手の言い分の正当性を理解しながらも、それぞれの違いを意識して自らの正当性を主張してゆかねばならないのであるから。「愛し合いながら殴りあう」ようなものだ。

もっとも、理論と実践のすり合わせでは、実践側では比較的容易である。まず、実践をした後で理論武装、が出来るからである。だが、理論側の場合はなかなか大変である。片手間では実践はできないからだ。特にコンピューターゲームの場合、コンピューターに命令できるだけのスキルが必要になる。理論側が本業、というゲームデザイナーが殆ど居ない所以である。

この辺の問題は実際の開発のプロトタイピングの問題とも近い。プロトタイプはまさに理論と実践のすり合わせそのものであるが、それ故簡単にプレゼンテーションできるものである必要がある。しかし、ゲームの場合、場と言うか環境と言うか、そういった性質のものであるため、文章(企画書等)では意味を成さないし、ペーパープロトタイピングのような方法でも全く不十分である。最終的に実際実装されたもの、と言うことになってしまうが、簡単とは程遠くなってしまう。